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1型ひろば

1型ひろばは、1型糖尿病の患者さんと患者さんを支えるみなさんにどのような病気なのかを知って頂くための情報ページです。

1型糖尿病語り場本音リング

【1型糖尿病座談会】1型糖尿病と向き合う・3 「家族と自分自身」

私は結婚で相手の両親に挨拶に行った際、妻は看護師で、義母も看護師という状況でした。収入とHbA1cの値をどちらも尋ねられたのは初めてでした。
義父が今一つわかっていなかったので、病気から説明しないといけませんでした。
「それは遺伝するのか」とかも聞かれました。
最後は妻が、「死ぬときは死ぬんだから良いんじゃないの?」という一言で終わりました。
家族の支えというのは大事だと思いますね

私は家族からサポートをしてもらっていると常々思っております。
私は一人っ子でしたので、私がこの病気になってから、両親はほぼ私と一緒の生活になりました。
父は、血糖コントロールがどうというのはあまり言わないし、詳しいところまで理解しているかどうかもわからないくらいの日常生活を送っていたんですけど、授業参観とか運動会、学芸会などがあったら、必ず校長、担任に挨拶に行っていました。
高校受験の時、私はある進学校と、内部で医学部に入れる高校に受かって、どっちにしようか迷っていた時、内部で行けるところの方が医学部に行きやすいらしいから、お金がかかるけど頑張るよ、と言ってくれたので、こうやって医師になることができたというのが父の大きなサポートです。
母は、2型の糖尿病患者さんと同じように食品交換表を厳密にやってくれました。
当時はインスリンもアナログ製剤など無かったので、インスリンに食事を合わせないとコントロールがうまくいかない時代だったからです。
私がこういう病気になって、好き嫌いがあるとよくないのではないかとか思ってくれて嫌いなものでも色々なメニューで調理してくれて食べさせてくれたというのが非常に大きなサポートでした。
あと、学校に通っている頃、どんな事が起きても親が責任を取りますから、他の子どもと同じようにやらせて下さいというのを親が言っていたというのが、後になってわかったことがありました。
昨年結婚して、妻と二人で暮らしているのですが、妻も医師なのである程度病気の知識がありますし、同じ内科医なので、あまり他の方には参考にならないかもしれないのですが、食事の事は気を使ってくれています。
炭水化物の見積もりは私の方が得意なので、ごはんの量とかは私が主にやっています。
彼女からは、「自分より早く死ぬな」「私より1日でも長く生きなさい」と常々言われています。
そういう事を言ってきますけども、これをしてはいけない、とか言ってくる事は全然無く、私の自主性にまかせ、私がこれまでやってきたような事をサポートするというスタンスですので、妻には感謝しているところです

私の父も母も糖尿病の事を詳しく知らなかったですね。注射をしないと生きていけない病気というくらいにしか理解していませんでした。商売をやっていたので、そっちで一生懸命でした。
ですから病気に関しては、とにかく先生の言う事を聞いて、自分で生きていけるようにしなさいというぐらいしか言われていません。
私が医者になりたいって言った時には賛成してくれ、私立の医学部しか通らなかったんですけど、その時に父親からは最大の金銭的な支援がありました。それがきっかけになって父は、仕事にやる気が出来たし、商売も大きくする事が出来たって死ぬ時に言ってくれました。
そんなに細かい事を言わなかったけど、一人で生きていけるような大人になるという事は、幼い頃から言われていたので、13年前に父が亡くなった時、もう一人で生きていけるという事を認めてくれた気がします。母も余り病気に関しては細かい事は言わなかったし、そんなに知らなかったと思います。今のようにインターネットの情報などありませんでしたから。
私は大学から一人暮らしをはじめ、自分できちんと管理しなさいって言われていました。
本当に両親には、健康な人以上に心配をかけていたのだなと思っています

私も両親に感謝している事は、特別扱いをしなかった事、本当にそれだけです。伊藤先生と一緒ですけれど、学校へのサポートは結構してくれていたみたいです。
私は中学校から国立の中・高一貫教育校に入って大学受験をしたのですけど、大学卒業までずっと自宅から通っていました。大学の時は学校に言わなかったですけど、中学校の時は、保健の先生に毎回「尿糖検査」の表を提出させられていたんです。当時は自己血糖測定がなくて、特殊な薬品を使った尿糖検査をしていました。
毎月1回、母はそれを持って行って保健の先生に面談するというのを3年間続けていました。そのおかげで、中学校で病気になったりすると、その先生が凄いサポートをしてくれていました。それは絶対母のおかげだと思っています。
合宿中に低血糖で倒れた時も、怒られることもなく新潟まで迎えに来てくれましたし、何かあった時にサポートをしてくれました。隠れてお菓子を買って食べたりとかしていましたけど、止めることもなく、勉強しろとも言われず、私が医者になりたいと言ったら、いいよと言ってくれて、一浪もさせてくれました。
多分心配はずっとしていたと思いますが、それを子供にわからないようにサポートしてくれていた事が凄いサポートだったと思います。
夫の方が、結婚して就職後に眼底出血から始まって、次々と合併症をすべて発症したので、うるさいです。今回、米子では単身赴任しています。今までだったら絶対許してもらえませんでしたけど、お世話になった先生に恩返しをするということで許してくれて、そういう夫のサポートは非常に有難いなと思っています。
家族のサポートに関しては本当に常々感謝はしています

うちは何にも言われないですね。
特に野菜をたくさん摂らないといけないとは私は全く考えていないし、肉は食べてはいけないともなんとも思っていないです。ただ、年齢とともに受け付けなくなってきているものはあります。豆類はよく食べています。
特に何かを気にして食べないといけないとかは、高校生くらいまでだけ思っていました。病気の事を考えていけばいくほど、そんな事は気にしなくてもいいのではないかって思うようになってきました。
好きなように飲んで、人様にご迷惑をかけないようにしなきゃというくらいです。生活を糖尿病に合わすという事は一切ないです。飲み過ぎて気持ち悪い時は控えようかなっていうくらいです。

そうですね、お酒を飲む時は、大体どのくらいインスリンを打ったら低血糖になるのかと気にしています。
ビールと焼酎でどっちが上がるかというと、ビールの方がすぐ上がって下がるというパターンが多いので、飲んでいる最中に気になって、血糖値が高かったらインスリンを打って、ホテル帰って低血糖になった、という経験もあります。
食事に関しては、私はあまり強く意識していないですね
子供の頃、両親は食品交換表とかを見て、食事は色々気にかけて、作ってくれました。今は結婚して、自分が料理を作ったりしています。
おつまみはカロリーの低いレシピを作ったりしているぐらいですね。食事面で悩むことがこの病気では多いのではないでしょうか。人間の欲求として、一番強い面だと思うんですよね。

私もあまり気にしている事はないです。最近、年齢的な事で気にしていますね。
昔は睡眠時間が4時間くらいでも全然大丈夫でしたけど、もう少し寝ないとお肌に悪いなとか、体力的につらいなとか、そういう事くらいで、食べるものもそんなに気にしていないですね。
私が発症したのは結構昔なんですけど、主治医の先生から「あれ食べちゃいけない、これ食べちゃいけない」というようなことは言われなかったし、普通に何でも好きだし、外食もよくするし、食べたらインスリンを打てばいいや、という感じでやってきました。
健康な人向けの女性誌とかを読むと、こんなにみんな気を付けているなら、みんな同じレベルなのではないか、って思いますね。
糖尿病だからって特別なことはないと思います。好きなスポーツはずっと続けています

南昌江内科クリニック 院長

南 昌江 先生

1型糖尿病発症14歳 病歴36年

福岡大学医学部を卒業後、東京女子医科大学にて3年間勤務し福岡に帰り、九州大学の関連病院に7年間勤務した後に35歳で開業しました。
16歳の時に初めてサマーキャンプに参加して、それから自分の人生ときちんと向き合えるようになりました。またキャンプでの出会いがきっかけで医者になろうと思いました。

社会人として生きていると仕事でいろんなストレスがあるのですけど、それを上手に発散することは大事ですね。社会人としての責任はありますし、それをやりながら、自分の趣味ともどういうふうにバランスをとりながらやっていこうかと考えています。糖尿病があるっていうのはそんなに深く考えなくても良いような時代だと思うんです。
あたりまえの治療をあたりまえにやっていれば、夢を持って自分のやりたい事をやっていけば良いし、その上で色んなバランスをとりながらやっていく事でしょうね。なかなか一言で言うのが難しいですけど。

アーティスト

吉田 敬 さん

1型糖尿病発症12歳 病歴23年

小学6年生の3学期1日目に発症し、3ヶ月間くらい入院していましたので、学校では転校したんじゃないかと思われていました。もともと天邪鬼な性格でしたので、サマーキャンプに一日も参加したことがありません。オープンにすることがその当時はなかなかできなかったです。4年前くらいに、ゴールドコンサートという障害者のコンサートに出るまでは、オープンにはせず、やってきました。なるべく病気であって病気じゃないような、でも病気じゃないけど病気だっていうような、そういったあいまいなところをうまく色んな人に、伝えながら病気と付き合ってきたという感じです。今は熊本で音楽のクリエイターをしております。

私は社会人の最初の7年間、会社員でした。営業やマーケティングの業務をしていたんですけれども、不規則な仕事で、毎晩夜遅くまで働いていました。その後、子供が生まれてくる前日に会社を辞めました。「無職・子持ち」っていう状態になってしまったのですが、仕事のストレスはなくなって、楽になりました。以前みたいに数字に追いかけられる事も無いですし、曲を作ったりピアノを弾いたり、技術的には色々と大変な面はあるのですけど、病気も前より凄くオープンにして良いように感じています。自分の生活に自分の病気を合わせられています。食生活も、インスリン注射を打つタイミングも、自分で色々と出来るようになったので、自分の好きな事ができます。うまく生活していくには、無理をしないって事ですね。我慢をしない、細かいことは気にしない、という考えた方が一番良い気がします。あとは、先ほども言ったように、身近に人からオープンにする事が快適に過ごすコツだと思います。

慶應義塾大学医学部 腎臓内分泌代謝内科 助教

伊藤 新 先生

1型糖尿病発症9歳 病歴22年

私は小学校4年生の夏休み前に発症しました。最初は学校の検尿に引っかかって、検査するうちに、1型だと診断されました。小学校5年生の時から、サマーキャンプに参加しまして毎年楽しくみんなと過ごして参りました。
主治医の先生が小児科の先生で、毎月受診しているうちに、医者になりたいと思うようになり、医者という職業を選びました。今医者になって8年経つのですけれども、最近ようやく、自分の病気の経験を生かしていろんなアドバイスや、診療をしたり出来るようになりました。私は自分の病気に関してはそんなに深く考え込まない方なので毎日楽しく、食べたり飲んだりしております。

私も好きな事を好きなだけやるというのが非常に良い事だと思っておりまして、私はそのとおりやってきましたし、お酒を飲んで失敗した事もありますし、概ね楽しく過ごしています。ただ、しばらく血糖値を測れないような状況になりそうな時、どのような対応をしようかと予めシュミレーションするような準備がこの病気には必要かなと思っています。その準備さえできれば、やりたい事を全力で楽しめるのは普通の人と全く同じで変わりないと思います。

東徳島大学 糖尿病臨床・研究開発センター 助教

黒田 暁生 先生

1型糖尿病発症12歳 病歴31年

東京医科歯科大学医学部を卒業後、大阪大学と関連病院に勤務し、2004年から2007年までアメリカに留学しました。アメリカでインスリンポンプを導入しました。留学以降は国内外で活動しています。最近では、サンディエゴの、ご自身が1型糖尿病の医師である、スティーブン・イーデルマンと交友を深め、イーデルマンにリアルタイムに血糖値が見られる「リアルタイムCGM」をすすめられて使用しています。リアルタイムCGMを使用してから、HbA1cが6.7%から5.7%になりました。毎日色々なものを楽しみながら、生きています。

毎日を快適におくる為のコツは、低血糖を起こさない事ですね。低血糖を起こして人前で意識を失う、というのをなくす事だけを考えていると、低いのが無くなったら高くなりますので。次に高い状態を無くす為には、インスリンを投与する時間を工夫する事で対応すればよいと思います。糖質制限なんかしなくても大丈夫です。

国立病院機構米子医療センター 糖尿病診療部長

木村 真理 先生

1型糖尿病発症8歳 病歴42年

横浜市立大学医学部卒業後、今年の3月まで横浜市立大学で勤務、現在米子医療センターにて、移植の研究をしています。
私が発症したのは、小学校2年生の冬です。その時にまだ、全国的な学校検尿は行われておりませんでしたが、私の住む東京都だけが先行して学校検尿を行って、その第一回目でひっかかりました。その時はまだ尿糖プラス程度でしたが、半年もしないうちに1型糖尿病を発症しました。今私は49歳になりますので、病歴はそろそろ42年目に入ります。私は不良患者で、多くの合併症を経験しました。結局最終的には4年前に腎移植を、2年前には膵移植をやっております。膵移植をやってからはインスリンフリーになっていますが、今拒絶で結構大変です。今度インスリンが必要になったら、ポンプにしようと思っています。
私が発症したのが40年以上も前で、その頃はまだ採血で使うような注射器でインスリン注射をしていたし、ガラスの注射器でしたので、煮沸消毒をしていました。針も煮沸消毒して何度も使い回すという状況でした。そういうことを考えると、ここ10年くらいの医療の進歩というのには本当目を見張るものがあります。糖尿病については、私もあまり物を深く考えこむ性格ではないので、そのまま受け入れてきたし、こんなものかと思い、悩むこともとくになかったです。1型糖尿病である事を、周りに無理して言うこともなく、担当の先生にだけ話しました。医者になってからは当然同僚には言わなくてはいけないので、入局の時に医局の人に言いました。私もどっちかというと、あまり人には言わないで生活をおくってきました。

本当に皆さんのおっしゃっているとおりで、好きな事を好きなだけやるっていうのがポイントだと思います。合併症や何かが起こったとしても、最悪な状況になることは、今は避けられます。実際、こんな私もこうやって元気にやっていますし、私の人生で本当に良かったのは好きな事を好きなだけやりきってきた、という事を今言えるという事です。人生50年位ですけど、好きな事を好きなだけやらせてもらって本当にそれは幸せだと思っています。だからこそ糖尿病であることをマイナスに考えないで生きてこられたと思います。糖尿病だったからできなかったという事は無かったですね。
細かい事を気にするなと言われても、発症したばっかりの中高生位の子達には、自分が人生でちゃんとやっていけるのかとか、卒業できるのかとか就職できるのかとか、結婚できるのかとか子供ができるのかという不安がたくさんあると思うんです。ただ、今は先輩が沢山いますし、自分がやりたい事をやって、何か壁にぶつかった時はサポートを受けられるような形にするのが一番良いのではないでしょうか。親や周りの人、主治医の先生でも構わないと思うのですけど、困っている事などを、周りに発信してほしい。近くの人に言いづらければ、今はネットもありますから、調べれば、ある程度の事は答えてもらえるし、最大限いろんなものを利用するというのが快適に過ごしていくコツじゃないでしょうか。飲み会に行くのも良いし、会食だって良いと思うし、好きな事をやれば良いんじゃないですか。

新潟大学大学院 自然科学研究科

岡田 果純 さん

1型糖尿病発症9歳 病歴14年

現在、新潟大学大学院修士課程1年に所属しています。
小学校3年生の6月に発症し、1ヶ月間入院して、その時の主治医の先生から、1型糖尿病とはいっても、なんでもできるんだよと教えてもらって、退院して1ヶ月もしないうちに、サマーキャンプに何もわからず参加しました。その時にたくさん友達ができて、病気の事だけではなく、色々な事をオープンに話せる仲になりました。いまはいろんな人に病気のことを話しています。
今年の3月に、チリで開催された、1週間自給自足しながら250km走る砂漠マラソンに参加し、完走しました。

快適に生活を送る為のコツって深く考えていないですけど、好きな事を好きなだけやるっていう事だと思います。普段の生活に注射や血糖測定が加わっているだけと思っています。私はもうとにかく新しい事に挑戦するのが好きで、自己紹介の時に話したマラソンも、もともと運動が好きで、発症する前からずっと続けてきた事ですし、細かい工夫とかはしていないです。何か困った時は同じ病気の友達が沢山いるので、登山している人に登山する時はどういうふうに工夫しているのかを聞いて、教えて貰ったりとかしています。後は、私は凄くアバウトな性格なので、血糖値高くなったら、注射しよう、低くなったらちょっと食べよう、と軽く補正すればよい、という感覚でやっています。

座談会:1型糖尿病と向き合う
(全3回シリーズ)

患者さんの声

「自分のことをちゃんと人に伝えていこう」

日本IDDMネットワーク専務理事
大村 詠一 さん

糖尿病と共に普通の生活を送る
ためには、知識を身に付ける
ことが大切です。

カルフォルニア大学サンディエゴ校 内分泌・糖尿病・代謝学部 教授
スティーブン V.イーデルマン 先生

「糖尿病を人に知って
もらうことはすごく大切」

音楽クリエーター
吉田 敬 さん

1型ひろばコンテンツ

最終更新日:2020年12月Zinc Code:MAT-JP-2008425-1.0-12/2020

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