Interviews
糖尿病患者さんの中には、疾患を受け入れて、自分らしく生活している方々がいます。
自分らしい生活を手に入れた患者さんの声を、Interview形式でお届けします。

動画を観る

毎日1万歩を目標に。そして趣味のゴルフを長く続けたい。
飯田 守宏さん

動画を観る

糖尿病が作ってくれた出会いに、感謝しています。
大村 詠一さん

動画を観る

旅行がモチベーションの源泉。年に2回は沖縄旅行へ。
飯田 慎治さん
閉じる
Interviews
毎日1万歩を目標に。そして趣味のゴルフを長く続けたい。
飯田 守宏さん
糖尿病と診断されるまでの経緯とその時の心境は?
飯田守宏です
糖尿病歴が15年になります
当時、会社員で営業の仕事をしておりまして
お酒の付き合いとういうのが、ものすごく多くて
ほとんど毎日のように飲んでて
そういうような生活を15年前くらいまでしていて
その時に代理店の方達と一緒にゴルフをやる機会がありまして
ゴルフやっている最中に
「飯田さん、顔色悪いよ」という話が出て
それで病院に行って見てもらって
その時に先生に言われたのは「即入院だ」って言われて
こっちもビックリしてそんなに悪い状態なのかと思いながら
一応入院して、すごく不安でした
これから先どうやって暮らしていったらいんだろうって
糖尿病であることで大変だったことは?
一番最初に家族にはこういう状態でっていうことで
糖尿病っていうことで
自分が薬飲んだり
インシュリンを打ったりするのを見たりする場面もありましたけど
会社はけっこうな人数がいますから
みんなの前でそういうことはできませんし
それを上司といろいろ話をしたら
応接室を使っていいよ、みんな見てる前で注射するのもあれだろうからって
空けていただいたんです
ずいぶん助かりました、その時は
一番辛かったのは、友達と会話できない
だいたい "飲みニケーション" っていうのがありましたので
それができなくなってきたっていうのが辛かったです
糖尿病治療への向き合い方について
やっぱり食べ過ぎ、飲み過ぎ、運動しないっていうのが良くないので
運動、体を動かすっていうことを基本的にやるようにしてます
趣味がゴルフなのでゴルフと、あとはウォーキングが主で日に1万歩くらいを目処に運動してるという感じです
今は時計で何歩くらい歩いたとかをトレンドで見れますので
時計と携帯とが連携されていまして
数値化になっているので、そういうのを見ながら
今日はこんな状態だなっていうのを自分で把握しています
60歳の時に子供達がお祝いをしてくれて
1泊で旅行したんですが
そういったとき料理なんかもすごく気を使ってくれて
私の病気に合わせた、糖尿病に合わせた料理で祝ってくれたので
あれは今でもありがたいなって思ってます
今後の目標は夢は?
今後は趣味のゴルフを長く続けたい
ゴルフだったら1人でまわることもできるんですが
でも、1人でまわるよりは仲間とまわった方がいいので
やっぱり仲間と一緒にまわりたいなって今でも思っていますし
そういうのが続く限りやりたいなって思ってます
それがあるから
そのためにやっていきたいなっていうのが1番の思いですね
閉じる
Interviews
小学校2年生、8歳の誕生日の翌日から1型糖尿病発症と診断されて
今でもう27年目になります
大村 詠一さん
糖尿病と診断された時の心境は?
元々は小児糖尿病、子供しかならないと思われていた時代だったので
小児糖尿病という名前で、同じ病気の人がいないということで
なんで自分だけこんな病気になったんだろう
人がなっていない病気になったんだろうっていう不安で
泣き出したのを覚えています
糖尿病治療とどのように向き合っている?
治療の面では、中学校1年生の時から今の主治医の南昌江先生
ご自身も1型糖尿病のドクターなんですけれども
今までは治療に合わせて生活を変えないといけないと思っていたんですけど
生活に合わせて治療を選んでくださる先生に出会えて
本当に体としてもラクになって
そこで自分の場合は、糖尿病との向き合い方というのが
ある程度形づいたのかなと思います
ご自身の仕事について
簡単にお話しすると、エアロビックを基本にした運動の仕事と
糖尿病を基本にした、糖尿病にまつわる仕事の2通りがあります
運動に関するものだと、私の母が代表で
「エアロビックダンスクラブ Team OHMURA」という所で指導しています
その中で、競技をやっている子たちの育成もしているので
今、日本一を目指して
そして世界大会に出たいという子供たちの指導
その他にも普及活動というのが絶対必要だと思っているので
熊本地震ですごく落ち込んでいる方が多かったので
スポーツの力で元気になってもらいたいなと思って
仮設団地に月に2、3回自分が指導して
その場に集まってもらって、楽しくエアロビックを親しんでもらうことで
少しでも明るくなる手助けになればいいなと思っています
糖尿病に関しては、認定NPO法人 日本IDDMネットワークという所で
副理事長をさせてもらいながら、自分自身が病気の患者でもあるので
当事者の声を届けること
あとは事務局のスタッフとして、普段から皆さんの悩みの相談対応だったり
セミナーの開催などもしています
糖尿病治療について
自分はめんどくさがりなんです、基本的に
なので治療もササっと終わりたいので
料理の最中とかでも自分が必要だと思った時に打ちますし
逆にいうと自分が必要な時に必要な治療ができる環境を整えてきたのかなと思います
自分の場合は周りにとにかく言う
そんなふうに、病気のことをちゃんと理解してもらった環境を自分で作っていくっていうのを意識してるのかなと思います
治療によっては食べれないものもあるのかもしれないですけど
自分の場合、基本的に食べ物は選べると思っているので
糖質が多すぎて血糖値上がる心配があるから食べれないって言うのなら
自分で作って工夫すればいいと思うので
だから、いただきますは一緒にしたいし
同じものを同じ時に食べる幸せっていうのは一緒に噛みしめたいなって思ってます
それは意識しています
糖尿病で悩んでいる方々に向けて
自分は、この病気と上手く付き合えるかどうかは
人と出会えているかどうかだと思います
自分は逆に言うと、この病気になって良かったなと思えてることは
病気になったおかげで出会えた出会いがたくさんある
1型糖尿病だったからこそ出会えた出会いがあるので、今の自分がいると思っています
そういう意味では、隠したい時もあると思うんですけど
自分の心をさらけ出せるような人を見つけていってほしいなと思いますし
どんどんいろんな人に、怖がらずに出会っていってほしいな思います
閉じる
Interviews
初めて糖尿病と診断されたのは2015年の1月だったと思うんですけれど、当時は43歳でした
今でもう27年目になります
飯田 慎治さん
糖尿病と診断されるまでの経緯とその時の心境は?
ある時、血液検査をたまたま受けたんですけども、HbA1cの値が14を超えていて
まさか自分が糖尿病になるとは思ってもみませんでした
自分の父親が30代から糖尿病に苦しんでまして、「僕も糖尿病の遺伝子を持っているから気をつけなさい」と父親に言われてはいたんですけど、診断された時は本当にびっくりしましたね
糖尿病になった時の周囲の反応は?
1番大変だったのはお昼ごはんを食べるときにインスリン注射をしなきゃいけないので、他の同僚に見られないようにトイレに行ってインスリン注射をするというのが、ちょっとストレスでしたね
会社の人間には、なかなか言いづらいところもありましたけど、でも友人関係には正直に自分の状態を伝えまして、そうすると友人は理解してくれて、一緒の食事の席でもお酒を控えてくれたりとか、友人と食事する時はインスリン注射も抵抗なく打てましたので
友達に言われたのは、これから大変だろうけど付き合ってあげるよっていうことでしたね
日々の生活で気をつけていること
前向きに、とにかくお医者さんの言うことを聞いて、食事は、基本的には茶碗1杯、あとは、体にいいものを食べるという事と、レモン酢を毎日飲んでるんですけど、それを飲み始めてから体重が減りましたね
体調もいいですし、今ではそれを3年か4年続けてます
毎日仕事に行くのに駅まで大体30分かかるんですけど、それを毎日歩いて
それから休みの日でも、散歩がてら買い物に行ったりしますので、それが運動の代わりになってるかなとは思います
やっぱり毎日の積み重ねが大きいんだと思いますね
モチベーションの保ち方について
年に2回は沖縄に行きます
そういう時だけは自分を解放して、美味しいものを食べたりとか飲んだりとか
それで、沖縄そばを食べるのが大好きなので、沖縄に2泊3日で行くと4杯ぐらいは沖縄そばを食べてます
あとは沖縄といえばステーキなので、ステーキを食べるのが好きです
そのためにも普段の生活を摂生してます
糖尿病とのこれからの付き合い方
旅行は自分の1番の趣味ですので、それをモチベーションにして、うまく糖尿病と付き合っていきたいなと思っています
サノフィは、糖尿病とともに生きる人々の声に耳を傾け、支えることを使命とし、
100年にわたり、寄り添ってきました。
人はそれぞれ唯一無二の存在で、異なる人生を歩みます。
サノフィは、患者さん一人ひとりの”Your Type”を支えていきます。